………今日の空の色は、いつにも増して深く、澄んだ色をしている…………。 暖かい日差しに、遠く聴こえる、鳥のさえずり………。 …………あぁ、今日も世界は、なんて美しく輝いているんだろう……。 ……………そうだ。 中庭の花壇の花達は、きっと今頃一斉に咲き誇って、ボクが来るのを待っているに違いない。 ……こうしちゃいられない。すぐに行ってあげないと。 「……であるから、この文法は………。………おい、三原！　何処へ行く気だ！？」 急いでいるボクを、先生が呼び止めた。 「……先生、悪いけど……ボクは急いでるんだ。早く行ってあげないと、花達がすねてしまうかもしれないから……」 「……………花？　すねる？……何を言ってるんだ、君は？………とにかく、席に着きなさい。今は古文の授業中だぞ？」 「うん、知ってるよ、先生。……でも、ボクの時間は貴重なんだ……。そんなことに構っている暇はないんだよ。…申し訳ないけど……」 「………そ、そんなこと！？……君は、私の授業を聞く価値のないものと……そう言いたいのか！？」 「……違うよ。ボクはそんなこと言ってない。ただ、ボクの時間は待ってくれないんだ。……ここまでは、いい？」 「…………い……いい……？……って…………」 「………いい？」 「う……ッ。…………あ…あぁ………」 「ボクの時間をどう使うかが、世界中の人達の幸せを左右することになるんだよ……。でも、先生の時間をどう使うかでは、世界中の人達の幸せを左右したりはしない。…………ね？…これで、わかってもらえた？」 「…うぐ……ッ。…………それはやはり、私の授業は価値のないものと言っているのと、変わらないのでは……」 …………残念だな。 先生には、ボクの言いたいことを理解してもらえないみたいだ……。 「……わかったよ、先生………」 「……何、わかった？………ならば、いい。早く席に着きなさい」 「先生がそんなにそう思いたいなら、きっとそういうことなんだ。……うん、きっとそうなんだね」 「……なっ…ななななな……何ィ！？」 「……結論が出たようだから、ボクは行くよ？…じゃあね」 「…こ、こらッ！　三原！！　待ちなさい！！……三原ーーーーーーーーッ！！！」 ………可哀想な人だな、先生は………。 美を解さない人は、本当に気の毒だよ………。 人生のほとんどを、無駄に送っている………。 ……そんな可哀想な人を、１人でも少なくするために……ボクは頑張らなきゃいけないんだ。 ボクが花壇に行くと、そこには既に先客がいた。 ………あの後姿は…………。 春歌…………。 ボクが近づいて行っても、春歌が気づく気配はなかった。 ……何だか、夢中になって、花壇の花を描いているみたいだ。 ………そうか。 今、春歌は美術の授業中なんだね……。 …………フフッ。 本当に、一生懸命に描いてる。 ……………うん、いい色だ。 ……春歌の絵は、いつも優しい色で溢れていて、どこか人をホッとさせる……。 春歌の絵は、春歌そのものだ。 優しく、温かく………そして何より、安らぎに満ちている………。 「………よし、こんなものかな………と。………えッ！！……み、三原くんッ！？」 春歌はボクに気づいて、丸い大きな目を、ますますまん丸にした。 「…やあ、春歌。……いたね？」 「………う…うん…………いたけど………。…って、三原くん、いつからそこに！？……授業は？」 「うん。……ボクはそんなこと、ちっとも気にしない」 「………………気にした方が……いいんじゃ、ない………かなぁ…………」 「うん…いいんだ。………それより、とてもいい色が出せてるね」 「…えッ？……ほんと？」 「うん。…とっても優しくて、温かい……。ボクは、好きだよ」 キミの絵も……。キミ自身も…………。 「…エヘへ。……三原くんにそう言ってもらうと、なんか照れちゃうな〜〜〜。…でも、ありがとう！」 春歌はニッコリと、ボクに笑い掛ける……。 そうするとボクは、それだけで、幸せな気持ちになれるんだ………。 キミは本当に、不思議な人だね……春歌………。 初めてキミに会った時も、不思議な人だと思ったけど………。 ………キミは、覚えてる……？ 『………寂しそうな、緑だね………』 ボクの絵を見て、キミは、そう言ったんだ。 『………寂しそう……？……この絵の、緑が……？』 『……うん………。どうしてなのかわからないけど、そんな感じがする………』 …………そんな言い方をされたのは、初めてだった。 今まで、『綺麗な色』『大胆な構図に、繊細な色合い』……なんてことは、飽きるほど言われたけど………。 『寂しそうな緑』………。 ………大分長い間、ボクはその言葉が忘れられなかった。 …………そして最近やっと……その意味が、わかった気がする……。 「春歌……訊いてもいい？」 「…え？………あ、うん……。…何……かな？」 「……ボクの絵の緑は……まだ、寂しい色をしてる………？」 「…………え？」 春歌は驚いたように、ボクの目を見た。 ……………覚えていたのは……ボクだけ………だったのかな………。 「………いいんだ……ちょっと、言ってみただけ……」 「…びっくりしたぁ〜〜〜。……覚えててくれたんだ、三原くん？」 「………え？」 「初めて三原くんの絵、見た時に、私が言った感想。……覚えてたんだね」 「……春歌………」 「………今は、寂しい色じゃないよ。……三原くんの、緑……」 ……………やっぱり、そうだね…………。 キミは、ちゃんと覚えていてくれた…………。 「……緑だけじゃなくて、赤も、青も、紫も、黄色も………みんな、寂しそうには感じないよ。……むしろ、生き生きしてて、輝いてるみたい。………何でかな、そんな風に感じるのは………。不思議だね」 …………ううん……。 ちっとも、不思議なんかじゃないんだ。 だってそれは……………キミのせいだから………。 ボクは小さい頃から、芸術に関しての溢れる才能と、この美貌とで、周りの人達から一目置かれていた。 誰もがボクを特別な存在とし、遠巻きに見つめていた………。 自分から近づいて来る人は、１人もいなかった………。 ………そのことで、寂しいだなんて思ったことは、１度もない。 むしろ、当然なことなんだと思っていたんだ。 だってボクは、特別なんだから………。 ………………でも、本当はそうじゃなかったのかもしれない………。 そう思い始めたのは、キミがボクの前に現れてからなんだよ、春歌………。 ……キミが、深い森に閉ざされた、ボクの心の湖に、１枚の小さな葉を落としたんだ……それはとても控えめな、優しい波紋となって広がり、湖の隅々まで行き渡り…………ある時、ボクは気づいた。 …………………ボクはずっと、キミを探していたんだって。 キミのように、ボクの心を満たしてくれる存在を、ボクは探し続けていたんだ………。 そしてキミに逢うために、ボクはずっと、ひとりぼっちだったんだね。 …………春歌…………。 ………ボクの絵の中に、ボクさえ気づかなかった、『孤独』という名の色を、見つけてくれた人………。 …………大切な、キミ……………。 「………ねぇ、春歌…………」 「春歌！」 突然、ボクの後ろで、春歌を呼ぶ声が聞こえた。 振り向くと、そこには葉月くんが立っていた。 「…あ、葉月くん。……どうしたの？」 「…………そろそろ、終わるぞ、授業…………」 「えッ、もうそんな時間！？……うわ〜〜〜、どうしよう……。わたしまだ、完全に終わってないよ〜〜〜」 「………あと、色塗るだけだろ…？　仕上げは教室でも……出来る……。行くぞ」 「…え、あ……うん………。じゃあ、ちゃんと色、覚えてくね。もうちょっとだけ、待って？」 「………わかった」 葉月くんは、ボクの方をちらっと見て、 「………おまえ………クラス違うだろ。…ここで、何してる……？」 と、少し不機嫌そうに言った。 「うん。ボクは、古文の授業だったよ？」 「………………『だった』………？」 「うん。咲き誇る花の様子が気になってね、来てみたんだ」 「……………ふぅん………」 葉月くんは、さして気に留める様子もなく、その場で春歌を待っていた。 「………よし、覚えた！…ごめんね、葉月くん。待たせちゃって」 「………いや……べつに………」 「じゃあね、三原くん。……絵、褒めてくれてありがとう！……それから、あのことも覚えててくれて、ありがとう！……嬉しかったよ」 「春歌………」 「じゃあ、またね！」 「……うん……。また………」 並んで教室に帰って行く２人を見送っていると、「……『あのこと』……って、何だ？」と言う、葉月くんの声が聞こえた。 春歌は「…えへへ。……内緒」と、笑っていた。 「…………何だ、それ……」という、やっぱり不機嫌そうな葉月くんの声を最後に、２人は校舎の中へ消えて行った。 ……………ありがとう、春歌。 ………そう。 あのことは、ボクら２人だけの、秘密だね。 そして出来ればこれからも、２人だけの秘密が、作れるといいね…………。 ……こんなこと言うと、ミューズが妬いてしまうかもしれないから……このことはそっと、ボクの胸に仕舞っておくよ………。